東京地方裁判所 昭和30年(ワ)4073号 判決 1958年2月25日
原告 醍醐惣之助
被告 丸山金三郎 外一名
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は、「(一)被告丸山金三郎は原告に対し、別紙第一物件目録記載の各建物を収去して別紙第二物件目録記載の各土地を明渡し、かつ、昭和二十九年七月一日から右明渡ずみまで一ケ月金一万四千八百六十六円の割合による金員を支払え。(二)被告丸山鉄工株式会社は原告に対し、別紙第一物件目録記載の各建物から退去して別紙第二物件目録記載の各土地を明渡せ。(三)訴訟費用は被告等の負担とする。」との判決および仮執行の宣言を求め、その請求の原因として
一、原告は、別紙第二物件目録記載の各土地(以下本件土地という。)を所有し、これを被告丸山金三郎に賃貸していたところ、その地代などに関して当事者間に紛争が生じたので、原告より豊島簡易裁判所に調停を申立て(同裁判所昭和二十六年(ノ)第七号地代金等請求調停事件)、その結果昭和二十六年六月二十八日両者の間に、(一)相手方(被告丸山金三郎を指す。以下においても同じである。)は、申立人(原告を指す。以下においても同じである。)に対し、相手方が申立人より賃借した東京都豊島区高田南町三丁目七百三十八番地及び同所七百四十一番地の内宅地三百十九坪(本件土地に当る。)の昭和二十四年七月以降昭和二十六年六月末日までの延滞賃料金六万千五百六円を支払うこと、但しその支払方法は、昭和二十六年七月十日限り金三万八千五百三十八円を、同年八月十日限り金二万二千九百六十八円を夫々申立人方へ持参して支払うこと(二)申立人は、相手方に対し右宅地を昭和三十二年一月末日まで賃料一ケ月金三千八百二十八円、毎月二十一日限りその月分を支払う約束で賃貸すること、なお、右約定による賃料の支払を遅滞したときは、その遅滞の翌日から日歩二十銭の割合による遅延損害金を附加して支払うこと(三)相手方において右賃料の支払を引続き六ケ月以上遅滞したときは、前項の期限の利益を失い、その遅滞の翌日右宅地を申立人に明渡すこと(四)申立費用は各自弁のことという条項により調停が成立した。
二、右調停条項(三)は、被告丸山金三郎が賃料の支払を引続き六ケ月分以上遅滞した場合には、原告の意思表示をまたず本件土地の賃貸借契約は当然終了してその効力を失う趣旨のいわゆる失権約款であるところ、被告丸山金三郎は、昭和二十九年一月一日以降同年六月末日まで六ケ月間の約定賃料を同年六月二十一日までに支払わず、賃料の支払を引続き六ケ月分以上遅滞したので、右日時の経過によつて原告と被告丸山金三郎との間の本件土地賃貸借契約は終了した。
三、しかるに被告丸山金三郎は、右のとおり本件土地の賃貸借契約が終了した後においても、本件土地上に別紙第一物件目録記載の各建物(以下本件建物という。)を所有してその敷地として本件土地を占有しているので、原告は、被告丸山金三郎に対し、賃貸借契約の終了を原因に、本件建物を収去の上本件土地を明渡すべきことおよび右明渡義務の不履行による損害の賠償として、前記賃貸借契約終了の後である昭和二十九年七月一日から本件土地明渡ずみまで本件土地の相当賃料額である一ケ月金一万四千八百六十六円(一坪当り金四十六円五十銭の割合。但し円未満切捨。なお本件土地の賃料額には地代家賃統制令の適用はない。)の割合による金員を支払うべきことを求める。
四、被告丸山鉄工株式会社は、本件建物を占有することにより本件土地をその敷地として占有中であるが、本件土地を占有するにつき、その所有者である原告に対抗しうる何らの権原も有しないので、原告は、本件土地所有権にもとづき被告丸山鉄工株式会社に対し、本件建物から退去して本件土地を明渡すべきことを求める。
と述べ、
被告等の主張に対し、
被告等主張事実中、被告丸山金三郎が昭和二十九年七月二日、同年一月一日から同年六月末日まで六ケ月分の本件土地の賃料を原告に提供し、原告がその受領を拒絶したことは否認するが、同年七月九日被告丸山金三郎が原告に右賃料の提供をしたところ、原告においてその受領を拒絶したことは認める。被告丸山金三郎と被告丸山鉄工株式会社との間に本件建物につき使用貸借契約の締結されていることは不知。
なお、原告の本訴請求が権利の濫用であるとの被告等の主張は争う。即ち原告が被告丸山金三郎の主張するように本件土地の賃料を数ケ月分まとめて支払うことを承認していた事実はない。かえつて原告は、被告丸山金三郎がとかく賃料の支払を怠り勝ちであつたので、常にこれを催促するとともに、遅延損害金の支払をも請求していたものである。
原告が被告丸山金三郎に対して原告主張の調停の申立をしたのも、被告丸山金三郎の賃料支払の遅滞に原因があつたのである。被告丸山金三郎は、原告が昭和二十九年七月二日被告丸山金三郎に対し遅延損害金の支払を請求しながらその額を明示しなかつたと主張するけれども、その率が調停条項に明定されているのであるから、被告丸山金三郎は自らこれを計算して原告に支払うべきものである。これを要するに、被告丸山金三郎が自らその債務の不履行により本件土地賃貸借契約終了という不利益を招きながら、原告の権利濫用を云々する論は不当も甚だしいといわなければならない。
と述べ、
立証として、甲第一号証、第二号証の一乃至三、第三号証乃至第六号証および第七号証の一、二を提出し、証人中島彌三郎の証言および原告本人尋問の結果を援用し、乙第十二号証および第二十号証乃至二十二号証の成立は不知、その余の乙号各証の成立を認めると述べた。
被告等訴訟代理人は、請求棄却の判決を求め、答弁として、
一、原告主張事実は、原告主張の調停条項(三)の趣旨が原告の主張するようなものであることおよび本件土地の相当賃料額が原告の主張するとおりであることを争うほか、すべて認める。
二、右調停条項(三)は、被告丸山金三郎がある一月分の賃料の支払を引続き六ケ月以上怠つた場合に、原告において催告を要せず賃貸借契約を解除し得る趣旨を定めたものと解するのが、その文言からみて相当である。
従つてかりに原告の主張するように、被告丸山金三郎が昭和二十九年一月一日からの賃料の支払を怠つたとしても、同年一月分の賃料につきその支払期日である同年同月二十一日から六ケ月間即ち同年七月二十一日までその支払の遅滞が継続したときに初めて、原告は、右調停条項にもとづく契約解除権を取得するに至るのである。しかるに被告丸山金三郎は、昭和二十九年七月二日原告に対し、小切手をもつて同年一月一日から同年六月末日までの賃料合計金二万二千九百六十八円につき弁済の提供をしたところ、原告は、別に被告丸山金三郎に対し遅延損害金債権があると主張し(被告丸山金三郎は、前記調停成立以来原告に対し常に賃料を数ケ月分まとめて支払つていたところ、原告は、従前受領ずみの賃料および右提供にかかる賃料について遅延損害金を併せ支払うよう要求したのである。)、右遅延損害金は後日計算しておくが、これと共にでなければ右提供にかかる弁済を受領することはできないとして、これが受領を拒否した。ところが、その後同年七月九日原告から被告丸山金三郎に対し本件土地の明渡を請求する内容証明郵便が到達したので、被告丸山金三郎は、同日再び前同様賃料を原告に提供したが、同じく受領を拒絶されたので、同月十四日これを東京法務局に供託し、その後も本件土地の賃料の供託を続けているほか、昭和三十年三月十八日原告から請求を受けた昭和二十六年七月分から昭和二十八年十二月分までの賃料についての遅延損害金合計金一万五千百五円をも昭和三十年三月二十日原告に支払つたのであつて、被告丸山金三郎は、前記調停条項(三)に違反したこともなく、また原告から右違反を理由とする契約解除の意思表示が被告丸山金三郎に対してなされたこともないから、本件土地賃貸借契約が被告丸山金三郎の賃料債務不履行にもとづく解除により終了したということはありえないのであつて、原告と被告丸山金三郎との間の本件土地賃貸借契約は現在なお存続中である。
三、かりに右主張が認められないで、原告が被告丸山金三郎に対し本件土地明渡請求権を有するとしても、その行使は、次の如き理由により権利の濫用である。
(一) 被告丸山金三郎は、原告に対し従来常に数ケ月分の賃料をまとめて支払つて来た。最近の例では、昭和二十八年一月分から同年六月分までの賃料については同年七月八日に、同年七月分から同年十二月分までの賃料については同年十二月三十日にそれぞれ支払つたのであるが、原告は、その都度何の苦情も述べず、また遅延損害金の請求もせず、快く受領した。
(二) しかるに前述のとおり、昭和二十九年七月二日、被告丸山金三郎が同年一月一日から同年六月末日までの賃料を原告方へ支払に行つた際、初めて原告は、別に請求すべき遅延損害金があることを理由として右賃料の受領を拒絶し、しかも被告丸山金三郎から右遅延損害金の額を尋ねても、原告はこれを明示しなかつた。
(三) 原告は、本件土地附近一帯の大地主であるが、常にその借地人に対し過大な地代値上を要求し、借地人のわずかな落度につけこんで土地取上げを策しているのであつて、本件土地についても適正な賃料を徴収しうれば足り、特に自らこれを使用する必要はないのに反して、被告丸山金三郎は、もし本件土地を明渡さなければならないことになれば、その生活はもとより、被告丸山金三郎がその代表者として過去十数年間に亘つて本件土地において経営して来た被告丸山鉄工株式会社もその営業の基礎を失い、その多数の従業員の生計の道も失われることになるのである。
(四) かような実情にあるため、被告丸山金三郎は、原告との間に本件紛争が発生するや直ちに、訴外中島彌三郎を代理人として原告と示談の交渉を続けたが、原告から賃料の数倍値上げと権利金五百万円の支払とを要求され、これに応ずる資力もないまま遂に示談の成立をみず、本訴が提起されるに至つたのである。
以上(一)乃至(四)の事実を綜合すれば、原告は本件土地明渡請求に藉口して被告丸山金三郎に対する多大の犠牲をも顧みず、不当な利益を獲得しようとする意図の下に本訴に及んだものであることが明らかであるから、原告の本訴請求は権利の濫用以外の何物でもない。
四、叙上いずれの理由によるにせよ、原告は、被告丸山金三郎に対し本件土地の明渡を請求することができないものであるところ、被告丸山鉄工株式会社は、被告丸山金三郎が本件土地の上に所有する本件建物を被告丸山金三郎から使用貸借契約により借受け、これを使用収益しているのであるから、原告は、被告丸山鉄工株式会社に対しても本件土地の明渡を請求しえないものというべきである。
と述べ、
立証として、乙第一号証乃至第二十三号証を提出し、証人中島彌三郎の証言および被告丸山金三郎本人尋問の結果を援用し、乙第二十号証乃至第二十二号証は訴外中島彌三郎の作成にもかかるものであると釈明し、甲号各証の成立を認めると述べた。
理由
一、原告が本件土地を被告丸山金三郎に賃貸中被告丸山金三郎を相手方として申立てた豊島簡易裁判所昭和二十六年(ノ)第七号地代金等請求調停事件において、昭和二十六年六月二十八日原告と被告丸山金三郎との間に原告主張の如き条項による調停が成立したことおよび被告丸山金三郎が右調停により原告に対して毎月二十一日限りその月分を支払うことを約定した本件土地の賃料につき、昭和二十九年一月一日から同年六月末日まで六ケ月分の支払を同年六月二十一日まで遅滞したことならびに被告丸山金三郎が本件土地の上に本件建物を所有することにより、被告丸山鉄工株式会社が本件建物を占有することによりそれぞれ本件土地を占有していることは、いずれも当事者間に争いがない。
二、そこで、被告丸山金三郎の右賃料債務の履行遅滞にもとづいて、前記調停の条項(二)において約定された本件土地に関する原告と被告丸山金三郎との間の賃貸借契約が同条項(三)で定めるところに従つて昭和二十九年六月二十一日の経過と共に終了し、これを理由に原告が被告丸山金三郎に対して本件土地の明渡を請求し得るかどうかについて考えてみる。
(イ) 右調停条項(三)は、「相手方(本件における被告丸山金三郎を指す。)において右賃料(前記条項(二)で約定された毎月二十一日限りその月分を支払うべき一ケ月金三千八百二十八円の本件土地に関する賃料を意味する。)の支払を引続き六ケ月以上遅滞したときは、前記の期限(前記調停による本件土地賃貸借に関する昭和三十二年一月末日までの存続期限をいう。)の利益を失い、その遅滞の翌日右宅地(本件土地がこれに当る。)を申立人(本件における原告を指す。)に明渡すこと」というにあるところ、その趣旨について、原告は、被告丸山金三郎が賃料の支払を六ケ月分以上遅滞した場合に、原告からの意思表示をまたず本件土地の賃貸借契約が当然終了してその効力を失うことを定めたいわゆる失権約款であると主張するのに反して、被告等は、被告丸山金三郎がある一月分の賃料の支払を引続き六ケ月間以上怠つたときに、原告において催告をする必要なく、本件土地の賃貸借契約を解除することができる旨を定めたものであると抗争するので、案ずるに、右条項の文言それ自体だけから、原被告等双方の前示主張のいずれが正当であるかは、軽々に断定し難いのであるが、賃貸借契約に関する紛争についての調停および裁判上の和解において、賃料債務の不履行がある期間継続することをもつて賃貸借契約の終了原因として条項に掲げる場合には、賃料債務の不履行が累積して継続した一定の期間に亘る賃料額に達するときに契約が終了すべきものと定めるのがむしろ大多数の事例であり、特定の期間極めの賃料の一回分の支払を遅滞することが一定期間継続したことによつて契約が終了せしめられるような定めのなされることは、特別の事情でもあれば格別、普通一般には極くまれであることが、当裁判所に顕著である。さらにまた民法第二百六十六条によつて地上権者が土地の所有者に対して定期の地代を支払うべきときについて準用される同法第二百七十六条に、永小作人が引続き二年以上小作料の支払を怠つたときには、地主は永小作権の消滅を請求することができる旨規定してあることの解釈に関して、大審院判例は、最初、右第二百七十六条の規定は、永小作人が二ケ年分以上の小作料を支払わない場合に適用すべきものではなく、右にいわゆる二年以上とは、永小作人が小作料の支払を怠つた期間を意味するものであるとの見解をとつた(明治三十七年(オ)第五七六号、明治三十八年三月三日、民録一一輯二九〇頁)のであるが、その後聯合部の判決をもつてこれを改め、民法第二百七十六条の規定中に引続き二年以上小作料の支払を怠つたときとあるのは、小作料の支払を怠ることが継続して二年分以上に及んだことをいうものであると判示した(明治四十三年(オ)第一二三号、同年十一月二十六日、民録十六輯七六三頁)ことが、前記調停条項(三)の趣旨に関する解釈についても参照されるべきものと思料されるのである。
上述したところを彼此勘案し、かつ、本件において反対の解釈をとるべき特段の事情の認められない以上、前示調停条項(三)は、被告丸山金三郎が原告に対し本件土地の賃料の支払を引続き六ケ月分以上遅滞したときに、原告から何らの意思表示をするまでもなく、当然本件土地の賃貸借契約が終了し、被告丸山金三郎は原告に対し本件土地を明渡さなければならない趣旨を定めたものであると解するのが、当事者の合理的意思にも合致して正当であると考えるのである。
(ロ) ところで被告丸山金三郎は、前出一において当事者間に争いのない事実として判示した如く、原告に対し毎月二十一日限りその月分を支払うべき本件土地の昭和二十九年一月一日から同年六月末日まで六ケ月分の賃料を同年六月二十一日までに支払わなかつたのであるから、特別の事情のない限りは、右調停条項(三)の定めによつて原告と被告丸山金三郎との間の本件土地賃貸借契約は、昭和二十九年六月二十一日の経過と共に当然終了すべかりしものである。
(ハ) 被告等は、原告と被告丸山金三郎との間の本件土地賃貸借契約が、被告丸山金三郎において昭和二十九年一月一日からの賃料の支払を怠つたことを理由として、前記調停条項(三)にもとづいて終了したといい得るためには、昭和二十九年一月分の賃料債務につき履行遅滞が六ケ月間継続することになる同年七月二十一日を経過するほか、原告から被告丸山金三郎に対し解除の意思表示をすることが必要であるところ、被告丸山金三郎は、同年七月二十一日以前即ち同年同月二日および九日の二回に亘つて原告に対し、同年一月分を含めて同年一月一日から同年六月末日までの本件土地の賃料を原告に提供したばかりでなく、原告がその受領を拒絶したので、同年七月十四日これを供託したから、本件土地の賃貸借契約は前記調停条項(三)によつて終了したものとはいえない旨抗争するものであるが、被告等のこの主張は、右調停条項の趣旨に関する前出(イ)において判示したところと異なる、前掲のような被告等独自の解釈にその根拠を置いているものであつて、到底採用に値しない。
(ニ) そこで残る問題は、原告と被告丸山金三郎との間の本件土地賃貸借契約が前記調停条項(三)によつて終了したことを原因として、原告が被告丸山金三郎に対し本件土地の明渡等を請求することが果して権利の濫用に当るものであるかどうかということにあるので、以下この点について判断する。
(1) 原告と被告丸山金三郎との間に成立した調停において、被告丸山金三郎は、原告に対し昭和二十六年七月一日以降一ケ月金三千八百二十八円ずつの本件土地についての賃料を毎月二十一日限り支払うことと定められたことは、当事者間に争いのないところであるが、成立に争いのない乙第五号証乃至第十二号証および被告丸山金三郎本人尋問の結果を綜合すると、被告丸山金三郎は、昭和二十六年七月一日から同年十二月末日まで六ケ月分の賃料を同年十二月七日に、昭和二十七年一月一日から同年二月末日まで二ケ月分の賃料を同年三月七日に、同年三月一日から同年五月末日まで三ケ月分の賃料を同年六月九日に、同年六月一日から同年十月末日まで五ケ月分の賃料を同年十月十日に、同年十一月一日から同年十二月末日まで二ケ月分の賃料を同年十二月三十一日に、昭和二十八年一月一日から同年六月末日まで六ケ月分の賃料を同年七月八日に、同年七月一日より同年十二月末日まで六ケ月分の賃料を同年十二月三十日に、それぞれ一括して現金または小切手をもつて支払つたが、原告は、被告丸山金三郎の右のような、前記調停によつて定められたところとは異なる賃料の支払方法に対してかつて異議を述べることもなく、その都度これを領収したばかりか、被告丸山金三郎において原告に賃料の支払の遅れたことについてあやまりの言葉を述べたのに対しても、被告丸山金三郎の誠意と資力に信頼しているから、多少の遅滞があつても銀行に預金しておくのと選ぶところがないから心配するには及ばない旨答えたこともあつたことが認められ、この認定に反する証拠はない。ところが成立に争いのない甲第一号証の一乃至三、被告丸山金三郎本人尋問の結果によつて成立の真正を認めうる乙第十二号証および成立に争いのない乙第十三号証乃至第十九号証ならびに右本人尋問の結果を綜合するときは、原告は、被告丸山金三郎が昭和二十九年一月一日から同年六月末日まで六ケ月分の賃料合計金二万二千九百六十八円を一括して支払うため、同年七月二日付で振り出した株式会社住友銀行池袋支店を支払人とする持参人払式小切手一通を携えて、同日原告をその自宅に訪問し、右小切手を原告に交付しようとしたところ、賃料は毎月二十一日限りその月分を支払う約定であるから、被告丸山金三郎の右賃料支払はこの約旨に反するものであり、且つ被告丸山金三郎に対しては別に遅延損害金の支払を請求すべきものがあるからといつて右小切手を受取ることを拒絶し、続いて同年同月八日発信、翌日到達の書留内容証明郵便をもつて被告丸山金三郎に対し、原告と被告丸山金三郎との間の本件土地賃貸借契約は被告丸山金三郎が前示六ケ月分の賃料の支払を遅滞したため、上掲調停条項(三)により終了したとして、本件土地の明渡を請求するに至つたので、被告丸山金三郎は、やむなく同年七月十四日前記六ケ月分の賃料を東京法務局に供託し、その後も昭和三十年六月分までの賃料は三ケ月分ずつまとめて供託し、爾後の賃料についても供託を続け、別に原告の請求により昭和二十六年七月一日から昭和二十八年十二月末日までの賃料についての遅延損害金として合計金一万五千百五円を昭和三十年三月二十日に支払つたことが認められ、原告本人尋問の結果中この認定に牴触するものは措信せず、他に右認定を左右する証拠はない。
(2) 証人中島弥三郎の証言によつて同人作成の文書として真正に成立したものと認められる乙第二十号証乃至第二十二号証ならびに同証言および被告丸山金三郎本人尋問の結果を綜合すれば、被告丸山金三郎は、前述のとおり原告から内容証明郵便をもつて本件土地の明渡を請求された後、かねて知合の訴外中島弥三郎の勧めもあつて、同人を代理人として原告に示談を申し込み、爾来昭和三十年五月末頃まで数回に亘つて両者の間で折衝が試みられたが、原告において、前記調停によつて定められた本件土地の賃料一ケ月一坪当り金十二円合計金三千八百二十八円を、昭和二十九年一月一日から同年十二月末日までの分について一ケ月一坪当り金五十五円合計金一万七千五百四十五円に増額し、一ケ年分合計金二十一万五百四十円の割合で被告丸山金三郎に請求し、昭和三十年一月一日以降の賃料はさらに右以上に増額するほか、被告丸山金三郎から原告に権利金として金五百万円を支払うべきことを要求する旨の提案をし、右権利金五百万円の支払要求については、多少減額の余地もないではないことをほのめかしはしたが、その他の点については譲歩の意思がないとの強硬な態度に出たため、訴外中島弥三郎は、被告丸山金三郎の意向を確かめるまでもなく、その資力からみて到底原告の右提案には応じえないものとして交渉を打切つてしまつたことが認められる。原告本人尋問の結果中この認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を動かすに足りる証拠はない。
上来判示したところからするときは、被告丸山金三郎は、昭和二十九年一月一日から同年六月末日までの本件土地の賃料を、同年七月二日その振出にかかる小切手をもつて支払おうとした当時既に前記調停条項(三)に違反して、賃料の支払を引続き六ケ月分以上遅滞していたことは明らかであるけれども、原告は、前記調停の成立以来、被告丸山金三郎が右の如く昭和二十九年七月二日に小切手をもつて本件土地の六ケ月分の賃料の支払をしようとするときまでの間に、被告丸山金三郎が本件土地の賃料を調停条項に定める支払期日に遅れ、しかも何ケ月分かをまとめて支払つて来たのに対して、かつて異議を述べたことがなく、現金または小切手によつて支払われるままにこれを受領していた(このことによつて直ちに毎月二十一日限りその月分の本件土地の賃料を支払うべきものとした調停による約定が変更されたものとまでは解せられない。)にかかわらず、昭和二十九年七月二日に至つてにわかに従来の態度を飜して、被告丸山金三郎から前記賃料の支払を受けることを拒絶したのは、たとえ被告丸山金三郎が原告従来の態度に過信するの余り、右のように債務の履行を怠つたものであるにしても、著しく信義に反するものといわざるを得ないのである。殊に原告が叙上のように、被告丸山金三郎の債務不履行によつて原告と被告丸山金三郎との間の本件土地賃貸借契約が調停条項の定めるところに従つて終了したとして、被告丸山金三郎に対して内容証明郵便をもつて本件土地の明渡を請求した後において、被告丸山金三郎を代理する訴外中島弥三郎から示談の申込を受けたのに対して、既往に遡り、且つ将来に向つてもそれぞれ賃料の増額に応ずべきことを要求し、その額が調停によつて約定された従来の賃料の、前者については四倍半強、後者についてはさらにそれ以上にも及ぶ大巾なものであつた上、権利金五百万円の支払をも請求したことを考え合わせるときは、原告は、原告自らの従来の態度にもその原因の一端のある被告丸山金三郎の不用意な賃料債務不履行をとらえて、本件土地賃貸借契約の終了を理由に被告丸山金三郎に対して本件土地の明渡を請求する反面、被告丸山金三郎において賃料の増額および権利金の支払等原告の要求するところに応ずる場合には、本件土地を被告丸山金三郎に引続き賃貸することはあえて辞さない意図であつたことを看取するに難くないのである。かようにみて来ると、原告が被告丸山金三郎に対して賃貸借契約の終了を理由に本件土地の明渡を請求するのは、権利を濫用するものであり、従つて原告は被告丸山金三郎に対して本件土地の明渡を請求することはできないものであるとの結論に達せざるをえないのである。
三、以上の次第であるから、本件土地の賃貸借契約が終了したことを原因に、被告丸山金三郎に対し本件建物を収去して本件土地を明渡すべきことおよび右明渡義務不履行に基く損害金を支払うべきことを求める原告の請求は失当であり、そのしかる以上は、被告丸山金三郎本人尋問の結果と本件弁論の全趣旨とにより被告丸山金三郎から本件建物を使用貸借契約によつて借受けている被告丸山鉄工株式会社に対し、本件土地所有権にもとづき本件建物から退去して本件土地を明渡すべきことを求める原告の請求もまた理由がないので、それぞれこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文の通り判決する。
(裁判官 桑原正憲)
第一物件目録
一、東京都豊島区高田南町三丁目七百三十八番地所在
木造瓦葺平家建居宅一棟建坪二十二坪五合(別紙図面<A>)
二、同所同番地所在
木造鋼板葺平家建物置一棟建坪六坪(別紙図面<B>)
三、同所七百三十八番地および同所七百四十一番地所在
木造鋼板葺二階建工場兼住宅一棟建坪百十六坪七合五勺
二階十五坪(別紙図面<C>)
四、同所七百四十一番地所在
木造鋼板葺平家建倉庫一棟建坪三十坪(別紙図面<D>)
第二物件目録
一、東京都豊島区高田南町三丁目七百三十八番
宅地二百六十六坪九合二勺四才
(但し、別紙図面(イ)(ロ)(ハ)(ト)(イ)の各点を結ぶ線で囲む部分に当り、右坪数は実測によるものであり、公簿面積は二百六十四坪)
二、同所七百四十一番
宅地五百二十七坪(公簿面積)のうち別紙図面(ニ)(ホ)(ヘ)(ト)(ニ)の各点を結ぶ線で囲む実測五十二坪七合九勺四才の部分
図<省略>